助けられた言葉

先日、また人生はどうしたら満たされるのか、と再度考え始めてしまった。
 
 
 
そんな時、図書館で無選別に借りた本に助けられました。
 
~幸福のパラドックス~
“幸福になりたい”という人間の欲望には際限がありません。ある地位を手に入れたらもっと高い地位が欲しくなる。ある程度有名になれたらもっと名声を、と思ってしまう。それが世の常で、だから“幸福になりたい”という欲望に駆り立てられている人は、どこまでいっても心の底から満たされることがありません。絶えず、“何かが足りない” “どこか満たされない”という欠乏感を抱き、“永遠の不満の状態”に陥ってしまうのです。
 幸福は、それを求めれば求めるほど、私たちの手からスルリと逃げ去ってしまう、という人生のこの逆説的な真実。すなわち“幸福のパラドックス”。
 
人生が満たされていない、と感じている私は、このパラドックスにまんまとはまってい
る。まんまと。
自分の人生に対して欠乏感を抱きながら暮らしている。
そこからどうやって抜け出すのか、示唆してもらえた。
 
どんな時も、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この人生のどこかに、あなたを必要とする“何か”があり、
あなたを必要とする“誰か”がいる。
そしてその“何か”や“誰か”は、
あなたに発見されるのを“待って”いる。
オーストリア 精神科医 ヴィクトール・エミール・フランクル
 
 
「私のしたいこと、やりたいことをするのが人生だ」
という人生観から、
「私のなすべきこと、私がこの世に生まれてきたことの、意味と使命とを実現していくのが人生だ」
という人生観へと、人生観を転換しよう。
「私は、なすべき時に、なすべきところで、なすべきことをしている」
という深い生きる意味の感覚に満たされて生きていこう。
 
「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に問いを発してきている。だから人間は、ほんとうは、生きる意味を問い求める必要なんかないのである。
 人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのでなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」
 
 
「私は、この人生で何をすることを求められているのだろう」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰だろう。その人は、どこにいるのだろう」
「その誰かや何かのために、私たちにできることは、何があるだろう」
 
 
したいことを求めながらそれを実行する生き方 から 人生に与えられたなすべきことをする生き方 への転換をはかろう。
 
 
 
 
 
参考文献
諸富祥彦(2000)「生きていくことの意味」PHP研究所.